同じ日本海側,隣の鳥取県中部が震源地のようです.しかも震度6弱!人的な被害も予想されます.DMATの待機基準はもとより,近隣災害に対するドクターヘリ,DMAT出動の準備に即座に取り掛かります.同時にEMISを立ち上げての情報収集と入力,各種媒体からの情報収集,鳥取県,兵庫県の関係各所への連絡を行います.救命カンファレンス室は災害対策室へ衣替えです.今までの災害派遣をふまえ,DMAT派遣,ドクターヘリの災害派遣の物品はアクションカード,SPD化によって瞬く間に準備完了です.人,物いつでも派遣可能な状態でスタンバイします.
そして,鳥取県庁から15時13分にDMAT先遣隊として派遣要請が入ります.派遣の目的は震源地に近い鳥取県立厚生病院への病院支援,地域の情報収集です.「ドクターヘリでDMAT災害派遣!統括DMATのセンター長,杉野医師,米田看護師で出動」「院内統括は番匠谷先生」の指示で15時34分,ドクターヘリは鳥取県中部・倉吉市に向け離陸します.
機内でもEMISなどからの情報収集,TECCMCのバックアップ隊に向けてはLINEグループで情報を共有していきます.
TECCMC内では災害派遣に伴うバックアップチームが派遣隊の最大限の支援を行います.
鳥取県中部防災センターへドクターヘリは着陸,消防の支援をいただき目的地の鳥取県立厚生病院へ.16時30分過ぎに到着し,厚生病院災害対策本部本部長の院長先生へDMAT隊到着し,本部横にDMAT本部を立ち上げる旨を報告します.
DMAT本部長はセンター長,EMIS入力などは米田看護師,連絡・調整要員は杉野医師,クロノロ記載とDMAT隊の受付は厚生病院の方にお願いします.鳥取県庁へ連絡すると「厚生病院を含めた中部地域の医療ニーズ,支援のスクリーニングを行って下さい」との指令です.EMISの情報を頼りに,更新が滞っている病院,支援要請のある病院などに直接電話などで現在の状況,情報を聞きます.本部活動中に鳥取県内のDMAT隊が数隊参集し,DMAT本部機能が充実していきます.幸いにも大きな人的被害などはない模様で,17時42分に鳥取県DMAT以外のDMATは待機解除です.しかし,中部地域のいくつかの病院はライフライン,特に水道が使用できず透析が出来ないとの情報が入ります.外来で多数の傷病者が押し寄せてくることもなく,DMATの活動を病院避難のミッションにシフトさせます.県庁を含め転医先の確保,搬送手段の確保などを粛々と行い,1つの病院避難が完了です.その後も大きな動きもなく,「鳥取県内のDMATのみで対応可能,兵庫県DMATは撤収」と鳥取県庁から連絡があります.20時35分,当DMATは任務終了.
ドクターヘリはすでにTECCMCへ帰投しており,陸路の足を求めて倉吉市内を少し歩きます.倒壊家屋はありませんが,壁が崩落したビルもいくつか見られます.しかし余震も続く中,幸いなことに日常に近い生活が営まれている印象も受けます.何とか帰院の足を確保し,被災地の早期の復興を祈念しながらTECCMCへ戻ります.
後日,臨時DMAT会議を行い,今回の派遣に関する問題点抽出,改善方法を確認しました.
災害時のドクターヘリ運用,DMATとの兼ね合いなど,いろいろ議論されているところです.今回は被災地県の県庁から兵庫県に要請があり,ドクターヘリでDMAT派遣が行われました.指揮命令系統の確立に基づき,迅速に近くのDMATが参集出来る体制ことが重要です.そんなことを実感した1日でした.
まだまだ日常生活に戻られていない方もおられます.被災されました方々にお見舞い申し上げます.