2011年3月11日金曜日

3月11日 災害派遣1日目

突然それはやってきました.

当直明けでドクターヘリ勤務,待機中の14時46分,三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生しました.

15時13分 DMATの待機要請がメールで発令されます.TECCMCのDMAT隊員は速やかにセンターへ参集です.この時点で,まだ東北地方で何が起こっているかわかりませんでした・・・

EMIS,インターネット,テレビなどで情報を収集します.


16時49分 宮城県,福島県からDMAT派遣要請!資機材の準備,人選,院内調整,移動手段の決定などに取りかかります.DMAT隊員以外のフライトメンバー,救命救急センター職員にお手伝いいただき準備です.


時間的にドクターヘリを飛ばすには日没にかかり無理と判断.陸路での出動を考えますが,豊岡から東北まで震災後,いったい何時間かかるか見当もつきません.それなら明朝,日の出とともにドクターヘリを飛ばす方が良いか・・・そんな思案をしていると,「伊丹空港に2時間以内に参集可能なDMATはEMISに入力してください.自衛隊機での移動を調整中.」との掲示が!すかさず藤田隊員が「公立豊岡病院DMAT行けます!」と入力.と同時にドクターカーに資機材を積み込み伊丹空港へ向け,緊急走行で出動です.


しかし,伊丹空港への移動中,自衛隊機の調整がつかず出発時間が決まらないとの情報を入手.また伊丹空港へ参集予定であった大阪DMAT各隊が大阪大学に一時参集するとの情報もあわせて入手します.大阪大学チームとはドクターヘリの出動のことなど打ち合わせしたいこともあり,進路を伊丹空港から大阪大学へ変更します.

大阪大学にはすでに多くの大阪DMATが参集していました.


そこでEMISなどから情報を収集,共有,やはり本日は自衛隊機が飛ばないことが濃厚であると判断します.各DMAT隊は翌朝まで自衛隊機の調整を待つのか,このまま陸路で移動するのか各々の判断を行い解散します.やはり自衛隊機を迅速に飛ばすことはいまだ困難なのでしょう.

我々は同じ運航会社である大阪大学チームとドクターヘリでの出動に関して打ち合わせ,申し合わせを行います.その結果,我々は豊岡に戻り,日の出とともに出動するのが最短で現地に到達出来る方法であると判断します.

そう決まれば先ほど来た高速道路を豊岡に向けドクターカーは走ります.我々が戻る間に病院で待機していた調整員の方が,ドクターヘリ運航クルー,運航会社などと連絡,調整を行ってくれます.

さあ,日の出を待って出動です!・・・大阪から帰院.出動まであと3時間.皆,残ってくれてました.